Walk,Melos.

勇者は、ひどく赤面した。

支離滅裂な散文

 あらもうこんな時間。夜の3時半をまわりました。

一昨日から昨日にかけて、母親との確執は深まるばかりです。

しかし、大学退学は免除してもらえました。(よかったね!)

ここで以前より薄々気づいていたことに、今回の件を以てとうとう確証を得てしまったことは、果たして幸か不幸か。

 母も私も人間です。毎秒流転する感情を、互いに完全に理解しあうことは不可能である。しかし、人間は特異的とも呼べるであろう、言葉を所持しています。そして、その唯一のツールを用いて、分かり合おうと努力するでしょう。

 だけどその言葉がいつだって本当だとすれば、世間は破綻してしまうかもしれません。人間に、適度に建前を使いわける能力があってよかったね。

 私は母に、自分に起こったことすべてを、洗いざらい打ち明けることはしません。母もまた、その身に抱えることを、ほとんどといってよいほどに、秘匿します。私たちは、このように、ただうわべだけを取り繕って、生活していたのでした。そのことに気づいた私は、あまりの奇妙さに、頭を抱えました。吐き気さえ起きた。お互いを知ろうとも、歩み寄ろうとも、したことはなかったのかもしれません。

 私は知る限り、身寄りは母しかいないから、どこへも行けません。ただ、今こうしてともに住んでいることで、お互いに何か、精神的なメリットが存在するかと問われて、頷けないのは、なんとも悲しいことです。こうなるのであれば、私は、少しだけ、東京の大学を選んだことを悔やまなくてははならないかもしれませんね。

 いつからでしょう、私は、他人の感情を、言葉を、パラフィン紙越しにしか、伝えようとも、感じようとも、しませんでした。そうすることで、感情が摩耗することから、逃避することができたからです。いつか占い師にいわれた、「あなたは失敗することを、どこかで望んでいる」という言葉が、思い出されます。

 

 明日は、来ます。何も変わらないでしょう。私たちは、道化をすることでしか、自分を守れないのです。笑うことでしか、隠せないのです。母は、これまで通りに、私も同じ方法で、繰り返す毎日を消費するでしょう。こうして、脳が委縮するような感覚に酔いながら感情を文字に起こすことでしか、精神を保つことが出来ない脆弱な私を、本質的に救済するものは、ありません。あるのかもしれませんが、それは、一時的なものに過ぎません。結局は、自己の中で変化を生み出すような何かを発見できないうちは、それはまだ、成長という意味から、外れたままであるように思います。

 手放すということを私は望みません。だけど、私は常に変化を求めます。あなたの細胞が全部入れ替わってしまって、それが以前のあなたと同じ存在であるのか、なんて、そんなことは、認識学的な話に過ぎないのです。時間だって、人間の主観的な認識でしかないでしょう。そんなものに、完結させてしまうのは、少し短絡的で、凡庸だけど。

 私は明日も変わりません。真っ黒い、襟のあいたワンピースを着て、傘を差しながら、活動写真に酔いしれて、今宵に巡らせた哲学の網なんて、すっかり忘却してしまうのです。私は、最後まで、責任を持てるかしら。